波田陽区さんは今…「“福岡でブレーク”とか絶対に書かないでください!」
波田陽区(タレント/46歳)
今から18年前、着流し姿でギターをかきならし「~ですから!」「残念!」の決めゼリフでブレークした波田陽区さん(46)。いつの間にやら福岡拠点の芸人になり、かの地で第二の芸人人生を謳歌しているとのウワサもある。実際はどうなのか。波田さんを直撃した。
◇ ◇ ◇
福岡・天神にある所属事務所で会った波田さん、まずはこう言った。
「福岡に来て7年目ですが、まだ『あれ、福岡にいるの?』と言われることがあるくらい、地元でも全然浸透してませんよ。アルバイトしなくてもギリギリ生きていける、という程度ですから、“福岡でブレーク”とか絶対に書かないでください!」
しかし、福岡、山口、佐賀の3県で活動し、情報番組「どき生らいぶ」(山口朝日放送)などのテレビやラジオのレギュラーを7本も持っているという。十分に活躍している、と言えるのでは?
「事務所のおかげ。ボクの力ではまったくないです。戻ってきてすぐの頃は、事務所に『すぐに仕事があるわけじゃないよ』とクギを刺され、事務所の後輩・イモトアヤコの名前が付いた『イモトのWiFi』のルーターを、福岡国際空港で海外旅行に行く方たちに貸し出すアルバイトを5、6カ月させていただいていました。週5日、朝7時から夕方5時までスーツを着て立ちっぱなしで……」
■水谷隼選手に“似てる”と話題に
ところが数カ月後、リオデジャネイロ五輪で卓球シングルス日本人初のメダルを獲得した水谷隼選手(当時)に“似てる!”と話題になり、タレント業が急に多忙に。バイト生活は終了した。
「水谷さんは迷惑でしょうね。ボクがギター侍として売れた2004年の頃は、水谷さんがボクに似てる、と周りから『残念!』といじられていたそうですから。それから十数年で立場が逆転し、今度はボクが似てると言われ、ボクとしては棚からぼた餅。朝起きたら、勝手に仕事が増えていました(笑)。さらに、去年は伊藤美誠選手とペアで金メダルを獲得し、“東京五輪で最も印象に残った”と言われましたからね。この顔に生んでくれた両親に感謝です」
波田さん、なかなか“持ってる”んだなあ。そもそも、福岡に拠点を移したのはなぜなのか。
「40歳になるタイミングと、一人息子が小学校に上がるタイミングが重なりました。04年にテレビのお仕事をたくさんさせていただいたあと、東京で十数年、もどかしい毎日がずっと続き、どこかに突破口がないかとわらにもすがる思いで、スキューバダイビングや船舶の免許を取ったり、けん玉の講習に通ったりしていました。営業の仕事があり、アルバイトはしなかったものの、『10年後、オレは何をやっているんだろう』とふと考えたとき、ゾ~ッとしたんです。それで、とにかく大きく変わるきっかけがほしくて、拠点を移したんです」
07年に結婚した元保育士の夫人は「いいよ」とアッサリOK。
「奥さんとは大学時代から交際していました。売れたときに稼いだお金は、調子にのって後輩たちにおごってほとんど残っておらず、結婚したときに通帳を見せたら『少なっ!!』と言ってましたから、最初から華やかな生活は期待していなかったのかも。今は週3日、近所の飲食店でパートして支えてくれています。それにしても、『お金は使えば戻ってくる』と助言されたのですが、当時おごった後輩たちは全員芸人を辞めてしまい、まったく戻ってきません(笑)」
最近は後輩芸人と2人組音楽ユニット「こどもーズ」を結成し、ユーチューブにアップする活動もしている。
「これで再ブレークしてやろう、というより、単に楽しくてやっています。福岡に戻ってからは肩の力が抜けました。ギター侍ではなく、波田陽区としてお仕事をいただけるので、やり甲斐を感じています。もっとも、お笑い芸人なので、積極的にお笑いライブでネタもやらないといけませんよね。ウケる自信がなくて逃げてるんですよ」
息子には将来「公務員になってほしい」
さて、波田さんは熊本学園大学卒業後、上京し大手芸能事務所に所属。04年、ギター侍の扮装で「残念!」とオチをつけるネタがウケ、同年の新語・流行語大賞トップテン入りを果たした。
「ブームが去った後は、たまにテレビに出ても、最高時と今の収入を比較される話ばっかり。『どうせ一発屋、とバカにしてるんだろう』といじけていました。精神的に病まず、お酒やギャンブルにも走らずにすんだのは、責めずに黙ってそばにいてくれた家族の存在が大きかったです」
夫人と、中学1年生の息子と3LDKのマンション暮らし。
「息子は顔も性格もボクにそっくり。マイナス思考で人見知りで、自分を見るようで心配です。将来、芸人だけにはさせたくない。安定した公務員になってほしいですね」
(取材・文=中野裕子)