赤楚衛二が明かした「大学学長の父」の存在…“理想の息子”でブレークまでの紆余曲折
その幼少期は教育熱心だった両親の意向を汲んでピアノ、剣道、英会話などの習い事に勤しんだという。中学受験を経て、中高は愛知県内の私立に通った赤楚は、大学は父親が当時教授を務めていた名古屋学院大学の外国語学部・英米学科に進学。東京での仕事が増えて忙しくなったため、中退した。
赤楚は17年12月1日付の朝日新聞のインタビューで父親について「小学5年で方程式を教えてられて、『できない』と言ったら怒鳴られた」と明かす一方、「友達が遊びに来た時は、プールや銭湯に連れていってくれたり、面白いギャグを言ったりして、人気の父でした」と振り返っている。
中高生時代は主に英語を教えてもらったといい、「その経験があったから、父と同じ大学で英米語を専攻した時も、単に語学としてではなく、学問として面白いと感じられたんだと思います。父の講義は、話術も内容もすごくて、父への見方が変わりましたね」と語っている。
■事務所の将来を背負う成長株に…
そんな赤楚がようやくつかんだ全国区での活躍の背景について、民放関係者が語る。