島田洋七「もう一度花月で漫才を」…「がばいばあちゃん」印税問題で過去に吉本興業と遺恨も
たけしの助言で生まれた「佐賀のがばいばあちゃん」
「たけしと洋七は漫才ブームを築いた戦友のような仲で、フライデー事件で謹慎中にマスコミの目を避けるために石垣島に隠れていたたけしは、引退を真剣に考えていた。その時、石垣島に飛んでたけしを励まし、引退を思いとどまらせたのが洋七だったのです」(芸能ライター)
洋七と言えば、シリーズ累計1300万部の大ベストセラーを記録した「佐賀のがばいばあちゃん」で、ドラマや映画、舞台化されたことから、いまだ記憶に残っている人も少なくないはず。今回の新刊では、その当時のエピソードについても語られている。洋七に本の出版を勧めたのは、何を隠そうたけし本人で、それがのちに「佐賀のがばいばあちゃん」へと繋がっていくのだ。
だが当初、洋七は自費出版で本を出すも、セールスに苦戦していた。その頃、洋七から「出版社を紹介してほしい」と依頼があり、筆者は当時「週刊アサヒ芸能」で連載を持つ一方、故・ジョー山中さんの自叙伝「証」をプロデュースしていた関係から、徳間書店から「佐賀のがばいばあちゃん」を出版することになったのだ。それがまさかの大べストセラーになるとは想像だにしなかったのは言うまでもない。
そのころ、洋七は吉本興業に出戻っていた。当時、専務だった大﨑洋さん(のちの社長、会長)から、「洋七さんが1円でもいいからうちに(吉本に)印税を入れてくれたらいんやけどな、それでないと他のタレントへのしめしがつかない」と相談されたが、洋七は「本は吉本の力を借りていない」と断固拒否。その後、07年8月に洋七は吉本を再び去っていくことになる。大ベストセラー作家になったにもかかわらず、テレビの仕事が激減した洋七は講演会を精力的にこなすように。
今や“講演会の帝王”と呼ばれるまでになった洋七だが、新刊の出版を機に、「もう一度、花月(吉本興業のホームグランド、なんばグランド花月)に出たい」と、熱く語る洋七の漫才魂をぜひとも実現させてあげたい。
(本多圭/芸能ジャーナリスト)