AKB48二期生だった大堀恵は22歳の頃が一番貧乏…「18円のモヤシでしのいだことも」
秋元康さんに言われた「チャンスは一度しか来ないから」
物販で写真とかが多く売れた子はお給料にプラスされて6万円、7万円、8万円と少しずつ上がったんです。すると、気づかないうちにメンバー同士で差がつくんですよ。
急にスタバに行くようになったメンバーがいると怪しんだり。「あれ、あの子、お給料上がったのかな」と(笑)。
私はお給料が上がると同じチームKの梅田彩佳ちゃんと月に1度だけ定食屋の「やよい軒」に行きましたね。白米おかわり自由ですから。いつも800円の定食を頼んで。温かいご飯が食べられて実家を思い出す時間でした。
劇場での1日3公演が酸素不足になるくらいつらかったのですが、忘れもしないのが09年の「RIVER」という曲ですね。歌うメンバーをよみうりランドで見た時、「これ、いっちゃう(売れちゃう)よ!」と思いました。私は選抜外でしたから「私を置いていかないでー!」と(笑)。(松井)珠理奈が入ってきた「大声ダイヤモンド」(08年)もAKB48がブレークすると予感、ゾクゾクと感じました。
すぐに1期生の方たちが単独でテレビに呼ばれるようになると、その穴を埋める形で私はたくさんステージに出られたんです。だから、当時はお弁当をよくいただけて(笑)。
私自身も単独で出始めてはいました。「AKBINGO!」(日本テレビ系)の企画で秋元康さんが「大堀めしべというのはどうだい?」と水着みたいな衣装でソロのシングルを1万枚売る企画をくださった。
「どんなキャラでもやります!」と私。セクシー全振りキャラが当時いなかったので、必死でそのポジションにすがりつきました。
秋元さんに言われて今でも大事にしている言葉は「チャンスは1回しか来ないから」なんです。この言葉は今も心に残ってます。
その後、AKB48のおねえさん版のSDN48も経験。デビューから12年の卒業までは激動でした。卒業の年に、まさか自分が結婚するとは思わなかったです。
卒業まで続けて結婚したメンバーは私が最初だったように思って、「AKB48が結婚していいのだろうか」と当時はかなり悩みました。
その2年後に娘を出産。卒業後も激動で。その2年前までは「自分が一番になるにはどうすればいいか」だけで頭がいっぱいでしたが、考え方は真逆なくらい変わり、娘を一番に考えて子育てしています。
今振り返ると、AKB48とSDN48でやりきった感はあります。これからの芸能生活も「チャンスは1度しか来ない」と思って頑張ります。
(聞き手=松野大介)
▽大堀恵(おおほり・めぐみ)1983年8月、千葉県出身。2006年にAKB48デビュー、10年からはSDN48のメンバーに。12年卒業。育児とともに芸能活動を続けている。