【新春異色対談】松尾潔×今井絵理子 #2「エリちゃんは4人のなかで唯一、学校の宿題を必ず持ってきていた」
SPEEDの活動期間は「たった3年半」
松尾「エリちゃんは覚えていないと思うけど、国語の宿題を僕のところに持ってきて『これ、よくわかんないんですけど』って聞かれたから、家庭教師ばりに教えてあげたんだ。で、結果が気になってたから、翌週末に冷静を装って『そういえば、あれ、どうだった?』と聞いたのね。
すると『先生にめちゃ褒められた!』って屈託ない笑顔で答えてくれて。『それはよかったね』って平気な顔で言いつつ、僕は心でガッツポーズ(笑)。エリちゃんは『眠い、眠い』と言いながら、よくがんばってた。でも、振り返るとSPEEDの活動って、たった3年半なんだよね」
今井「『もっと長く活動していたと思った』とよく驚かれます。今思うと、SPEEDの楽曲って素晴らしい。何歳になっても歌えます」
松尾「伊秩(弘将)さんは数年先まで歌えるように、実年齢より少し上の年齢の世界を描いていたからね」
今井「今でも歌える歌詞も多くて、私にとって宝物です。当時は恋愛も知らずに歌っていましたけどね。代表曲のひとつ『White Love』を歌っていたのは14歳の頃なんですけど、歌詞の最後の『あなたの為に生きていきたい』なんて、ヒロ(島袋寛子)と2人で、『どういう感情なんだろうね』って話していたんですよ(笑)。恋愛漫画を読んで、『こんな感じなのかな』とか」
松尾「かわいいね~(笑)。SPEEDは4人とも個性が際立っていたけど、エリちゃんとヒロちゃんは天性のボーカリスト。人の心をわしづかみにする歌声と表情を持っていたよ」
今井「音楽の好みも性格もキャラクターもバラバラでしたね。だから、バランスが良かった。ヒロは繊細で、タカちゃん(上原多香子)は天然で、(新垣)仁絵ちゃんはゴーイングマイウエー」
松尾「エリちゃんは頑張り屋さん担当で」
今井「私は調和させるタイプかな。4人の個性がバラバラだったから逆にうまくいっていました。男性の好みもバラバラだったからケンカもしなかった(笑)」
松尾「たしかに(笑)」
(後編につづく)取材協力=新宿「風花」
▽今井絵理子(いまい・えりこ) 1983年、沖縄県出身。96年にSPEEDのメンバーとしてデビュー。2000年に解散後はソロ活動開始。04年に長男を出産。08年に息子の聴覚障害を24時間テレビで公表。16年、第24回参議院選挙に自民党公認で全国比例区から立候補し初当選。現在2期目。
▽松尾潔(まつお・きよし) 1968年、福岡県出身。早大卒。音楽プロデューサー、作詞家、作曲家。MISIA、宇多田ヒカルのデビューにブレーンとして参加。プロデューサー、ソングライターとして、平井堅、CHEMISTRY、SMAP、JUJUらを手がける。EXILE「Ti Amo」(作詞・作曲)で第50回日本レコード大賞「大賞」を受賞。本紙でコラム「松尾潔のメロウな木曜日」(木曜掲載)を連載中。新著「おれの歌を止めるな」(講談社)が1月11日に発売。