「ゴダイゴ」リーダー・ミッキー吉野さんに自由を教えてくれたリトル・リチャードのロックンロール「Send Me Some Lovin'」
「ガンダーラ」「モンキー・マジック」「銀河鉄道999」などで1980年前後の音楽シーンを圧倒したバンド「ゴダイゴ」のリーダー、ミッキー吉野さん。ジャンルにこだわらないオリジナルな発想や曲調は、どこから生まれたのか。原点は小学生時代に聴いたリトル・リチャードのロックンロール「Send Me Some Lovin'」だった。
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僕が育ったのは横浜の磯子です。昭和26年、1951年生まれです。
場所柄、軍属関係の外国人が住んでいて、友だちも外国人の子が多かった環境です。彼らの家に遊びに行くと、軍の放送が流れていたり、FENはもちろん、ラジオ関東(現・ラジオ日本)の放送から、やたら洋楽が流れていた。海外の音楽がドッと入ってきて、ジャンルは関係なしに洋楽を聴くことができた時代です。
父親の影響で聴いていた日本の歌は「荒城の月」とか「城ケ島の雨」です。洋楽では映画の主題歌「デビー・クロケットの歌」とか。父親がピアノを買ってくれたので、3、4歳からクラシックを弾いていました。譜面を見ながら、基本的なバイエルや映画「愛情物語」の主題歌とかを弾いていたのかな。
横浜だから、アメリカの子供たちと喧嘩することもありましたね。そんな時は沿岸警備の米軍のショアパトロールと日本の警察がぶつかり、英語がわからない日本のお巡りさんがバカにされたりして。まさに「ヤンキー・ゴー・ホーム」の世界です。それへの反発もあったけど、アメリカの子たちに「旅愁」を弾いてあげて仲よくなったこともありました。
でも、流れてくるのは洋楽です。リトル・リチャード、エルビス・プレスリー……ロックンロールが流れてきて強烈な洗礼を受けるわけです。
■耳から入ってきた洋楽をピアノで自由に弾くことを覚えた
そうなるとクラシックは嫌になっちゃってね。譜面を見て弾いていたけど、譜面を見るのも嫌になった。いつの間にか耳から入ってきた洋楽をピアノで自由に弾くことを覚えちゃったんです。
リトル・リチャードは「Send Me Some Lovin'」や「Long Tall Sally」「Good Golly Miss Molly」。「Hound Dog」なんかも聴いていた。中でも小学生の僕が一番得意だったのが「Send Me Some Lovin'」でした。思いっきり叫んでピアノを連打する、そういうのが肌に合っていたんだと思います。
バンドをやっていた叔父たちの前で弾くと、そんな僕の姿を喜んでくれたのも大きかったかもしれません。
当時は「ビキニスタイルのお嬢さん」とか「ダイアナ」といったオールディーズ、坂本九さんの「上を向いて歩こう」もはやっていた。「上を向いて歩こう」の中村八大さんのアレンジなんかもすごく音楽的でいいなと思いました。
レイ・チャールズも好きでしたね。「I Can't Stop Loving You」や「Hallelujah I Love Her So」。フレンチポップスも好きになって「アイドルを探せ」のシルビ・バルタンのコンサートも見にいったし、ボビー・ソロの「ほほにかかる涙」……。それらも全部聴いただけで弾くことができました。