角川博さんは五木ひろし「旅鴉」で“こぶし”を学び、演歌の世界で生きていくと決めた
野球少年がクラブ歌手になって迎えた転機
療養してから地元の流川のクラブで歌っていました。僕は洋品店やボウリング場に勤めていたけど、合わないからやめてブラブラしてたら、いとこに「おまえも歌うか」って誘われた。クラブで歌うことに親は反対です。それをいとこが説得して、僕もクラブ歌手として歌うことになったんです。
その店は藤本好一さんという方がやっていました。寺内タケシとブルージーンズとも曲を出したりした藤本さんは、秀樹さんをスカウトし、デビューのきっかけをつくった人です。その藤本さんから「博多でパフォーマンスバーをやるから一緒にきてくれないか」と誘われました。僕はそこで「次は五木ひろしさんの登場です」「森進一さんです」という感じで歌っていた。それで「歌がうまいな」「あいつ、面白いな」と評判になって、秀樹さんと同じ事務所からデビューすることになったんです。
75年に上京し、半年くらいレッスンをして4月にデビューしました。ここまでは順調です。ところが、そこからがね……(笑)。
僕はてっきり秀樹さんのような曲、ポップスを歌うつもりでいました。ところが、もらったのは演歌。事務所が決めた曲です。それでも、その当時のことだから、「デビューできただけでもありがたいと思え」という雰囲気で、従うしかない。みんな詐欺師かと思いましたね(笑)。