セイントフォー 事務所とレコード会社が対立して2年で解散
ところが、デビューから1年も経たないうちにトラブルが起きた。85年秋、所属事務所がレコード会社によるセイントフォーの引き抜き工作があったと主張し、契約解除と印税の清算を要求。このため、レコード制作は85年9月リリースの「ハートジャックWAR」を最後にストップした。
レコードが出せない状況が続く中、86年3月には「眼鏡っ娘」として人気を集めていた最年少の板谷が脱退。穴を埋める形で後に声優として活躍する岩男潤子が加入したが、トラブル解決のめどは立たなかった。
レコード会社の副社長は橋幸夫。事務所側は橋を名指しで非難し、3億8000万円の損害賠償を求め、86年9月に提訴。これに対して橋は未払いとされた印税はレコード製作費と相殺済み、引き抜きは事実無根で「腹立たしいし名誉を傷つけられた」と激怒した。
また、事務所側は「引き抜き工作があったことはレコード会社側も了解。タレント契約を解除して新しい活動をさせたいだけ」と主張した。和解の道が完全に閉ざされ、新加入の岩男も脱退。3人になったセイントフォーは87年1月18日に解散コンサートを開催。岩間は「大人たちのトラブルに疲れました。中途半端な状態ではファンに迷惑をかける」と語った。