ダイヤモンド映像を復活させた松坂季実子の迫力ボディ
そして村西とおるがクリスタル映像時代に培ってきたマスコミサービスぶりが炸裂する。週刊誌、スポーツ紙、夕刊紙、いままで築いてきた関係から、松坂季実子のグラビアを組んだ。フライデー、フラッシュの2誌がカラーグラビアで松坂季実子を特集すると、雑誌の売り上げが急上昇した。
大手メーカー連合から、村西とおるの作品をとるならうちは卸さない、と村西パージをされていたが、レンタルビデオ店から、なんで松坂季実子の作品を卸さないんだ、と問屋が突っつかれると、村西パージは崩壊せざるを得なくなった。
「松坂季実子が出るまでは極貧ですからね。明日の制作費ないぞ、という状態でしたよ」(日比野正明)
ダイヤモンド映像は息を吹き返した。
松坂季実子はダイヤモンド映像専属となり、「毎月1日は巨乳の日」の合言葉で、毎月1日に松坂季実子の新作を売り出すことになった。
第2弾は「1107(い・い・女)ミリの感動」(89年3月発売)。
関連会社パワースポーツのプロデューサーを担当していた野田義治は、スカウトされた短大生がたちまち爆発的人気を博するのを間近で目撃していた。