大隅潔さん<4>大場政夫の死は記者生活で一番悲しい日
当時の相撲記者は二毛作だった。
「午前中は国技館へ行き、午後6時が打ち出し。原稿が終わるのが、早ければ7時。それから後楽園ホールへボクシングの取材へ駆けつけるのですが、メインイベントは午後8時半からなので十分に間に合いました。当時はボクシングの黄金時代。月曜日だけ試合がな…
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