喫茶店の副業を画策して「黒糖菓子」の屋号まで決めた
画家の仕事などというのは、いつでも不安定である。50代半ばまで、こうして生活をしてこられたのは不思議だが、暮らしの浮き沈みもあって、時々発作的に画業の傍ら何か副業を始めようとしたこともあった。
ひとつは、ラーメン屋。30代初めの頃、ラーメン好きが高じて絵の取材に出るたび…
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