ちきり清水商店 清水喜市郎社長(2)家業を継ぎ“19代目”になる重圧を常に感じた学生時代
「私は“落ちこぼれ”だったんです」
静岡県内指折りの名門校・静岡大学付属島田中学校に入学したものの、県下の秀才が集うだけに、清水社長は「授業のレベルの高さに四苦八苦した」と苦笑いする。
一方、同校に入学した1992年は、Jリーグ開幕の前年にあたり、第1回Jリーグヤマザキナビスコカップで地元・清水エスパルスが準優勝。サッカー王国・静岡は大いに盛り上がっていた。
■10年間サッカーに明け暮れた
「小学生の時にスイミングスクールに通っていたので水泳を続けたかったのですが、付属に水泳部がなかったのでサッカー部に入部しました。体が比較的大きかったためGKに選ばれ、練習中は頭のてっぺんから爪先まで泥だらけ。自分でユニホームの洗濯をやっていたので、毎日大変でした」
サッカーは進学した県立島田高校、独協大学でも続け、約10年間、ピッチでボールを追いかけた。
「高校時代、密かにスポーツドクターやトレーナーに憧れ、自分が関わった選手が大舞台で活躍する手助けをしたいという夢を持っていました。ケガが多く、ケガをしないために基礎体力をつけるトレーニングやテーピングの効果的な巻き方などを勉強したことが楽しかったためです」