コリマ金鉱の収容所では1938年の1年間で2万6000人が処刑された
ウラジオストクから東部シベリアに送られる囚人護送船が、宗谷海峡を通過する時に両サイドに日本領が見えた。その時に囚人としての過酷な未来を考えて絶望し、海中に飛び込んで日本への亡命を企図する者もあった。運良く陸地に泳ぎ着いた者がどれほどいたのかは不明である。たとえ泳ぎ着いたとしても…
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