タイミングを失った孫文への返事 犬養毅を怯ませた「国共合作」路線
孫文が山田純三郎に託した書簡は字数が3000以上に及んでいた。日本文に訳すと便箋で20枚以上になった。それは辛亥革命に至る過程での日本人志士への感謝から始まり、日本と中国がいかに同盟関係を強めていくかが世界的なテーマであると説いていた。この時犬養毅は閣僚として入閣していたので、…
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