日ハム栗山監督 斎藤佑樹を「特別扱い」は巧妙なパワハラか
これを企業に置き換えると、巧妙なパワハラにも見える。たとえば使えない社員を上司が冷たく窓際に追いやると、あきらかなイジメと受け取られる。だから、そういう社員にこそ、あえて社内で目立つ役割を与えることで表向きは期待を表明しつつ、実はその社員が派手な失敗を繰り返して精神的に追い込まれることを狙うという、裏の手口がある。かつて「褒め殺し」という冷やかし言葉が流行したことがあったが、これは言わば「期待殺し」だ。さらし者になるぶん、冷やかしよりも殺傷能力が高く、結果的に自主退職を選ぶことも少なくないという。
もしも栗山監督がそういう「期待殺し」をわざと斎藤に繰り出しているとしたら、なんとまあ恐ろしい人だと思う。入団の経緯を考えると、いくら実力不足とはいえ、球団が斎藤を露骨に冷遇するわけにもいかない。ならば、あえて世間のさらし者にすることで、世論が斎藤に戦力外の烙印を押してくれる、あるいは斎藤本人が限界を悟ることを暗に狙う……というのは私の妄想である。
ただし、ひとつ計算違いがあるとしたら、それは斎藤の精神力だ。どうも彼はあまり動じていない、それどころか今でも自分は特別だと本気で思っているように見えるときがある。これはもしや天然の一種なのではないか。周囲は冷やかしで持ち上げているのだが、本人は真に受けるから絶妙な嘲笑が生まれる。なんだか狩野英孝みたいだ。