【アジア杯直前寄稿】DF冨安健洋 吉田麻也の背中を追って
高3で福岡のトップに昇格。日本代表を率いる森保監督とともに“ドーハの悲劇”を味わった井原正巳監督(現柏コーチ)から英才教育を受け、18歳からレギュラーとして起用された。17年の年末にベルギーに移籍。「1年間で市場価値が17倍の7億5000万円超になった」と現地メディアに報じられたが、10代中頃は挫折も少なくなかった。
その筆頭が、14年U―16アジア選手権(タイ)だった。世界切符のかかった準々決勝・韓国戦で相手主力FWにブッチ切られ、完敗したのだ。
「タケは、悔しさを忘れないために試合で着ていたユニホームを実家に飾っています」と少年時代を過ごした三筑キッカーズの恩師である次山光博コーチは言う。
さらに17年U―20W杯では、ラウンド16のベネズエラ戦を自らのミスで落とした。その屈辱も糧にして18年、A代表デビューを果たした。
8年前にカタールで行われたアジア杯では、同じようにルーキーだった吉田がレギュラーとして奮闘。日本はタイトルを獲得し、吉田自身も守備陣のリーダーとして飛躍を遂げた。今の冨安の姿は偉大な先輩に重なる。