反町康治さん<5>ストレスに感じた“サラリーマン”の肩書き
しかも、その足でオフィスに行き、機長の氏名、年齢、乗務時間といった資料を打ち出して、記者会見場まで持っていったという。
「その日は休日で時間も遅かったので、社内に人がいなかったんです。あとで客室の方からお礼を言われました」
初年度のJリーグで、チームは前期、後期とも7位に終わったが、正月の天皇杯で優勝した。その翌日から、プロになるか会社員でいるか、自問自答の日が続いた。
「すごく考えましたよ、すごく。決め手になったのは、プロリーグが商売としても根付いていきそうだという肌感覚と、ほかの選手と同じ土壌でやりたい、選手として輝きたいっていう思いです。それで1月の終わりごろには会社を辞めるって決めて、プロ選手としてベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に移籍した。2つのことを同時に進めました」
ベルマーレの合宿には遅れて参加したが、さらに遅れて来た選手がいた。
「中田英寿です。合宿では同じ部屋でした。彼とはベルマーレ同期なんです。いっぱい面倒も見ましたよ。行きつけだった天現寺の焼き肉屋にも連れて行ったしね。今はもう予約すら取れないみたいだけど、当時は自分で冷蔵庫からビールを出して飲むような店で、しょっちゅう行ってたんだ。おばちゃん、覚えてるかな~」