オリ山本由伸のルーツを恩師ら4人が証言「高卒新人は打者ごとに投球フォームを変えていた」
助言の本質を見抜いて取捨選択する能力が高い
二軍戦では1イニングをほぼ10球前後で乗り切っていた。1年目は一軍で5試合に先発。1勝1敗だった。酒井氏が続ける。
「二軍に戻ってきた時に『どうだった?』と聞いたら『一軍の選手はなかなかアウトになってくれない』と嘆いていた。5回で100球くらいになっちゃうから『体が持ちません』と。だから、オフに入る時、『負担の少ない投げ方に変えるか、トレーニングを強化して故障をしない体をつくるか、どっちかだよね』とアドバイスしたら、キャンプインの時に、その両方を達成してやってきた。故障しない投球フォームをつくるために、今では有名になった『ジャベリックスロー』(やり投げのようなトレーニング)も1年目の17年オフからやっている。1年目である程度結果が出ていたので、周囲に『変え過ぎだ』と猛反対されましたが、これと決めたことは貫いていました」
1年目当初、変化球はスライダーしか投げられなかった。
「『左右、高低、緩急3つの揺さぶりが必要だよ』と言ったら、すぐにフォークとカーブを習得した。一軍は結果が全て。結果が出ない時に、その理由を自分で探す力が必要になる。由伸は考えて準備して、それを継続できる。自分を知る力、コーチの助言の本質を見抜いて取捨選択できる能力が高かった」(酒井氏)
かの孫子は「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」と言った。常に進化を追い求め、そのためには変化も恐れない。その姿勢は高校時代から身につけていたものだった。
都城高の1学年後輩の福田尚輝さん(24=現在は宮崎・町立三股中で野球部を指導)がこう証言する。
「高校時代から、ひとつひとつ練習の意味を考えていました。例えば社会人チームから練習メニューの提供を受けても、自分で必要だと思うことだけをやっていた。独学で投球理論を身につけていて、150キロの球を投げるためには、そのための腕の振りをしないといけない。下半身は……などと事細かく。私が『こう投げたい』と言えば独自にメニューを組んでくれました」
■50人分のチケットを用意
人間性についても、こんな声が聞こえてくる。
都城高時代の恩師・森松賢容監督(39=現・延岡学園監督)がこう言う。
「昨年の8月野球部が関西遠征した際、由伸が『試合を見に来ますか? 部員は何人ですか!』と50人分のチケットを取ってくれたんです。学校が替わっているから、由伸と部員たちにはつながりがないのに、そこまでしてくれた。延岡学園の部員たちは、今は全員由伸ファンです」