「10番の血を引く絶滅危惧種」「ルマンの太陽」...移籍先フランスで日本人選手を見る目を大きく変えた
2000年に京都サンガでプロとなり、4年後にはフランス2部のルマンに移籍。「当時の京都はJ2でした。同じ2部ならフランスの方がいいに決まっている」と迷うことなく渡仏を決断。瞬く間に「ルマンの太陽」と評されるようになった。
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最初のクラブとなった京都は、FWカズ(三浦知良=JFL鈴鹿)やMF遠藤保仁(G大阪コーチ)、MF朴智星らそうそうたるタレントを擁しており、特にカズからはプロとしてのイロハをしっかりと学んだ。
「カズさんには、自分から『飯、連れてってくださいよ』と懐いていきました。今の若手は自分から先輩に寄っていくのを躊躇する傾向がありますけど、僕はそれじゃダメだと思う。新人時代の経験がその後、欧州で生き抜く糧になりましたね」としみじみ振り返る。
京都時代には02年度の天皇杯を制覇。U21日本代表として参加した同年のトゥーロン国際でベストエレガント賞受賞、03年には日本代表入りするなどインパクトを残し、04年のアテネ五輪直後にルマンへ移籍した。