2度目のポーランドは苦境続き「海外あるある」にぶち当たり、急速に立場が悪化した
10年間の欧州挑戦を終え、2014年の1月に日本復帰を果たした。ジュビロ磐田で3年半プレーし、MF中村俊輔(横浜FCコーチ)ら個性豊かなタレントたちと共闘した。が、36歳になった17年夏、流浪の男はまたも海を渡る決断を下した。
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「最初の海外だったフランスも、2部のルマンからのスタート。磐田に帰ってきた時もJ2だった。今回もポーランド2部だから『初心に戻れるかな』と。今はワクワク感しかないですね」
オドラ・オポーレでの欧州再挑戦が決まり、こう話しながら爽やかな笑顔で成田空港を飛び立った。
32歳で日本に戻った時点では「もう海外へ行くチャンスはないだろう」と本人も考えていたはず。日本に骨をうずめるくらいの覚悟はあった。
15年のJ2で磐田のJ1昇格請負人になり、その後も献身的なプレーを見せていたのだから、そう思うのが普通だっただろう。
しかし、迎えた17年はMF中村俊輔の加入もあって出番が激減。半年間で7試合しか出場できなかった。