サンテティエンヌではライバルに「オレがいる限り絶対に試合に出られない」といきなり啖呵を切られた
海外最初のクラブであるルマンを離れ、同じフランスのサンテティエンヌへ赴いたのが2008年の夏。リーグ優勝10回の名門へ行けば、CL(欧州チャンピオンズリーグ)参戦も夢ではないと思われた。だが、ルセイ監督体制ではほぼ出番を与えられず、新天地でいきなり壁にぶつかった。
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「オマエはオレがいる限り、絶対に試合に出られないからな」
新たなクラブに足を踏み入れると、同じポジションのジェフリー・デルニスにいきなりそう言われ、面食らった。
「ルセイは彼と仲が良くて『来季もジェフリーを使う』とクラブ側に断言していたらしいんです。そこに僕が来た。デルニスにとっては、目の上のたんこぶのように感じたんだと思います」
困難はそれだけではなかった。サンテティエンヌ自体が、混乱の真っただ中にいたのである。
「当時のサンテティエンヌは<会長が2人いる>状態。それぞれが好きな選手を連れてくるし、アシスタントコーチやフィジカルコーチも複数いて、どっちにつくかの派閥争いをしていた。08年夏の段階では、ルセイやデルニスのいた派閥が優位に立っていたから自信満々だったんでしょうね」