南アW杯から戻ると空き巣被害にかつてない恐怖、余韻は吹き飛んだ…キッチンにはパスタを茹でた痕跡が
2009年の夏、欧州3クラブ目となるグルノーブル(仏1部)に移籍した。10年南アフリカW杯まで1年という重要なタイミングだった。「サンテティエンヌで不遇を味わい、06年ドイツW杯落選の憂き目に遭った僕としては『絶対に結果を残すしかない』と覚悟を持った移籍でした」と力を込めて振り返った。
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当時のグルノーブルは日本企業のインデックスが経営権を持ち、日本人GMも在籍。指揮を執っていたボスニア人監督のバジダレヴィッチも松井を高く評価。いい環境だった。
09~10年シーズンは29試合4得点とサンテティエンヌ時代より成績も上向いた。チーム自体は降格を強いられたが、長年の夢だった南アW杯に出場して全4試合に先発するなど充実した時期を過ごせたという。
ところが、予期せぬアクシデントが起きた。
W杯終了後にプール付きの豪華マンションに帰ってみると、プール側のドアが開いていた。
「え、何これ?」