広島元監督・阿南準郎氏を悼む。消えた外国人投手を捜しに大慌てで繁華街を歩き回った
広島がドミニカ共和国に新設した「カープアカデミー」出身のロビンソン・チェコは1995年、前半戦だけで10勝(5敗)をマークした。
しかし、8月22日のヤクルト戦は登板日にも関わらず、グラウンドに姿を見せなかった。
当時、私は投手コーチ。慌てて選手寮に連絡を入れると「昨夜から帰って来ていない」と言う。他のドミニカ人選手に行きつけの店を聞き、当時、常務取締役球団本部長だった阿南準郎さんと2人で広島市内の繁華街・流川を捜索した。試合前のことだ。
結局見つからず、私だけ先に広島市民球場に戻った。すると、試合開始直前になって、阿南さんがチェコを連れて球場に来た。
「朝まで飲んでいて知り合いの家にいた」
こう言うチェコに対し、阿南さんは烈火のごとく怒った。
「プロである自覚、カープの選手である自覚を持て! カネの話はそれからだ!」
事件の真相は「新たなボーナス契約を結んでくれなければ、今後は先発しない」と登板を拒否したことだった。球団側が「先発しないなら二軍へ行け」ときっぱり断ったことで、チェコ側は撤回したものの、後にも先にも阿南さんが怒ったのを見たのは、あの一度しかない。