広島元監督・阿南準郎氏を悼む。消えた外国人投手を捜しに大慌てで繁華街を歩き回った
阿南監督時代の87年、私は中継ぎ投手として前半終了時点で6勝0敗1ーブ、防御率はリーグトップを走っていた。しかし、オールスターの監督推薦で阿南監督が私を選ばなかったことで、釈然としない気持ちが残ったのは事実だ。
数年後に現役を引退、編成部に在籍していた時のことだ。国際部で席が隣だった阿南さんに真相を聞いたことがある。
「あの時は悪かったな」
実は投手コーチから「球宴期間くらいは休ませないと川端が壊れる」と進言を受けていたと聞き、わだかまりはなくなった。ご冥福をお祈りします。