野球
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球団社長からの電話で巨人・香田との交換トレードを通告された
その夜、私は同僚の高柳出己と2人、日向市内に食事に出掛けた。翌日、大阪に戻ることが急きょ決まったため、行きつけの店に挨拶もしたかったからだ。 わずか6試合の登板に終わった1994年のシーズン終了後のこと。 当初、秋季...
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球団社長に胸の内をぶつけると米田投手コーチから秋季キャンプに誘われた
「自分はいま、どういった立場にいるんでしょうか? 戦力として必要ないというのであれば、自分はもう、移籍しても構いません」 大阪は上六にあるホテルのラウンジ奥のスペース。私は向かい側に座っている近鉄の前田球団社長にこう言った。 ...
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まだ元気で投げられるとアピールしたくて巨人とのオープン戦での登板を直訴
仰木監督に代わって1993年のシーズンから近鉄の指揮を執ったのは鈴木啓示監督だった。 93年は主にリリーフで計22試合に登板して1勝3敗、防御率6.93。翌94年はシーズンの大半を二軍で過ごし、わずか6試合で0勝2敗、防御率...
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侍J栗山監督との対談で質問攻めにされた テレビ局の企画で指名される光栄
先日、テレビ朝日の企画で来春にWBCを控える侍ジャパンの栗山英樹監督と対談した。聞けば、「負ければ終わりの一戦必勝の戦いは、高校野球から学ぶことがある」と栗山監督が私に白羽の矢を立てたそうだ。とても光栄な話で、断る理由はなかった。 ...
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91年ドラフトで近鉄は即戦力右腕を1位で獲得 高柳を「立場危ういんじゃ?」と冷かしたら…
左肘を痛めて2勝2敗1セーブに終わった1991年オフのこと。 私は秋季練習が終わると、すぐに石川県の温泉に出掛けた。近鉄の投手陣は毎年、そこでオーバーホールをしていたからだ。 11月22日。当時は夕方からドラフト会議...
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「アンタがしっかりせんと上に行けないよ」仰木監督の言葉は重く励みになった
「左肘内側側副靱帯損傷」──。 1991年5月、左肘痛で戦列を離脱、医師の診断結果がこれだった。 いまなら、靱帯を修復するトミー・ジョン手術だろうが、当時のプロ野球界ではまだ、一般的ではなかった。ロッテの村田兆治さんが...
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クイックの練習で疲労蓄積 ボークの後遺症に左膝軟骨損傷が重なって膨らんだダメージ
リーグ優勝した翌年の1990年シーズン。キャンプ、オープン戦でも問題なかった私の牽制が、開幕後のあるとき、急に「ボーク」と宣告された影響は大きかった。 牽制は私の大きな武器だった。一塁走者をクギ付けにすることも多かったものの...
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絶対の自信をもっていた「牽制」が1990年開幕後…突然使えなくなった裏側
あれ? なんだ、この感じは……。 プロ4年目の1990年、自主トレでキャッチボールをしたときのことだ。肩肘が重いというのか、疲れが抜けていないような感覚に襲われた。 3年間の投球回数は705回3分の2。前年のオフは9...
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中日・根尾、日本ハム上原、日体大・矢沢…後出し感満載の「二刀流バーゲンセール」
ここへきてプロ野球は「二刀流」の花盛り。 メディアが面白がって「二刀流」と書き立てるが、当の本人は少し迷惑顔、ということが多かったが、最近は球団に「二刀流で行くからな!」と言われて本人もまんざらでもなさそうな選手も出てくるよ...
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仰木さんと川崎球場から銀座のクラブに直行…小宮悦子アナとの関係を尋ねると
あれはプロ3年目か4年目、川崎球場でロッテ戦があったときのことだ。 近鉄の宿舎は当時、三田(東京)にあった。そこからバスで球場入りする前、午後3時くらいだったと思う。部屋でくつろいでいると、電話が鳴った。広報の小野坂さんから...
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「パの宣伝部長」を自称した仰木彬監督 ビールの早飲みで使う選手を決めたことも
「来年の開幕は藤井寺球場が、お客さんで膨れ上がるんやないか」 1989年のリーグ優勝後のオフのこと。仰木彬監督はニコニコしながら、私にこう言った。 9年ぶりの優勝でファンが増えると思ったのだろうか、仰木さんに真意を尋ね...
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ドラ1候補“二刀流”日体大・矢沢にジリ貧巨人が熱視線も…評価はあくまで「150キロ左腕」
7月8日からオランダで開催される「第30回ハーレムベースボールウイーク」に出場する侍ジャパン大学代表選手選考合宿が20日、神奈川県平塚市で最終日が行われた。 ■大学日本代表で「背番号1」 午前中に紅白戦が行われ、48人...
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仰木彬監督は私に「野茂のフォームを変えようとするコーチがいたらアンタが止めないと」
「いままではオレがいたから、コーチやOBがあれこれ言っても野茂はいまのままでいいんだと言うこともできた。オレがいなくなるのだから、これから先、野茂の投球フォームを変えようとするコーチがいたら、アンタがしっかり止めないとあかんよ」 ...
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トイレで酔いつぶれ、野手のミスに平然…野茂英雄のそんな姿が周囲との距離を縮めた
周りを見渡すと、新人の野茂英雄の姿が見当たらない。いったい、どこへ行ったのか……。 1990年2月の日向キャンプでのことだ。近鉄投手陣は、最初の休日前夜に新人歓迎会をやるのが恒例で、場所は日向市内の居酒屋だった。 当...
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ドラフト1位で近鉄入りした野茂英雄はマスコミ対応に苦慮…一緒に座禅を組もうと誘った
1989年11月26日のドラフト当日は、近鉄の同僚・村上隆行の結婚式だった。私は彼の披露宴に出席していた。 当時、新日鉄堺の野茂英雄に近鉄を含む史上最多の8球団が競合、当たりクジを近鉄が引いたというニュースが披露宴の最中、司...
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優勝後の契約更改で押し問答に…金額を何度見せられてもしっかりした根拠はなかった
「ちょっと、どれくらいになるのか金額を出してみて」 リーグ優勝した1989年の契約更改。選手との交渉役だった当時の前田球団代表が、横にいる奥田球団部長にこう言った。 奥田部長は持っていた電卓をガチャガチャガチャとたたく...
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亜大が全日本大学野球選手権V エース青山美夏人がドラフト1位候補に急浮上!
2013年決勝と同じカードとなった昨12日の全日本大学野球選手権決勝で、亜大(東都)が7-1で上武大(関甲新学生)を破り、02年以来20年ぶり5度目の優勝を決めた。 三回に試合が動いた。1死二、三塁で、今秋ドラフト候補で2番...
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春先から急成長する大学生を見逃すな
まったく、嫌がらせとしか思えないね。 高校生の春季大会は他の地区に人手を取られてるから関東を頼むって言われ、今度は神宮の大学選手権をカバーしてくれってさ。春の関東大会はロクな選手がいないってもっぱらだったし、大学選手権も似た...
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今年の大学選手権は不作どころか“凶作”…高評価投手でも「ドラ2かドラ3」とスカウトため息
「今年はパッとしないどころか、ヒドいんじゃないか……」 神宮球場のネット裏でセ・リーグのスカウトがタメ息をついた。 全日本大学選手権は9日で4強が出揃った。仏教大、上武大、東日本国際大、亜細亜大が11日の準決勝に駒を進...
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「旅行券をもらった方が良かった」と選手が口をそろえた近鉄V旅行の顛末
一軍にいながらハワイへのV旅行に参加できない選手がいた問題は、選手会長の金村義明さんが球団に掛け合ってくれてクリア、短期間でも一軍にいた選手は参加できることになった。 火種はしかし、それだけではなかった。次は旅行にだれを連れ...
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V旅行は一軍にいながらリストから外れた選手も…金村義明さんが球団に掛け合い全員参加
1989年のオフ、ハワイへV旅行に行くことになった。 なにしろ9年ぶりのリーグ優勝だ。V旅行は初めてという選手がほとんど。私も含めて多少はワクワクしたものの、淡い期待は出発前から裏切られた。 まず、旅行に行ける選手、...
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1989年日本シリーズ後のオフはシーズン中より体調が悪かった
3連勝しながら4連敗で巨人に敗れた1989年の日本シリーズ。 日本一の経験がない近鉄にとって日本シリーズ制覇は、まさに悲願だったこともあり、当時、なぜ私が1、4、7戦に投げなかったのかが話題になった。 あのころは古い...
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巨人との89年日本Sは3連勝後に4連敗…私が4戦目に投げなかった裏側
「どうだ?」 1989年の巨人との日本シリーズ。近鉄が3連勝した日の夜だったと記憶している。私は投手コーチの権藤博さんからこう聞かれた。 1年間、先発ローテーションを守り、優勝を決めた試合は中1日でリリーフ登板。ペナン...
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89年日本S第3戦後…加藤哲郎の発言を聞きながら「もう、やめておけ」と思った
「別に、なんてことなかったですね。とりあえずフォアボールさえ出さなかったら。打たれそうな気はしなかったんで。まあ、大したことなかったですね。シーズンの方がよっぽど、しんどかったですから。相手も強いですし」 1989年、巨人との...
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中1日のリリーフ登板から6日後、巨人との日本シリーズ初戦に完投した
「去年、今年と選手諸君が、熾烈(しれつ)な戦いの中で本当によく頑張ってくれました。僕はいま、宙に舞わせてもらったんですけれども、わたしの手で選手一人一人を胴上げしたいですね。本当に素晴らしい選手たちです。選手たちのここまでの頑張り、粘...
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優勝マジック「1」で迎えた89年10.14 最後の打者には9球すべてストレートを投げた
「きょう決めるぞ!」 残り2試合で優勝マジック「1」。1989年10月14日、藤井寺球場のダイエー戦を前に、近鉄ナインは口々にこう言っていた。 ■1年前の悔しさが糧になった ロッテとの最終戦を引き分けて優勝を逃し...
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2試合目の先発に備えて仮眠をとっていたが…ブライアントの同点満塁弾の歓声で飛び起きた
そのとき私は、西武球場の医務室で仮眠をとっていた。 1989年10月12日のダブルヘッダー。近鉄が優勝するためには連勝するしかない。1年前の川崎球場と似た状況で、1試合目の先発は高柳出己に。私は2試合目に先発することになった...
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プロ野球進路調査で分かった短命&若年化の実態…「安く買っては使い捨て」さらに加速
日本野球機構(NPB)は27日、2021年に戦力外、現役引退選手の進路調査結果を発表した。 昨季の143人の平均年齢は27.8歳、同在籍年数は7.3年。17年から過去5年間で最も若く、年数も最短となった。 一方、育成...
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あの「10.19」から1年後…パ・リーグ優勝争いはまたしてもダブルヘッダーに
最後の試合に勝てなかったけれども、負けたわけではない。1988年10月19日、川崎球場のダブルヘッダーで経験した悔しい思いを私はもちろん、近鉄の選手全員が忘れてはいなかった。 翌1989年のシーズン。6月下旬には首位オリック...
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メジャー中継の視聴者はジジババばかり…日本野球の未来はお先真っ暗か?
ほぼ毎日朝からエンゼルス中心にメジャーリーグ中継をやっているNHK・BS1では、「大谷選手へのメッセージをツイッターで募集しています」と視聴者に呼びかけている。 その書き込みが、「毎朝正座して大谷くんの活躍を応援しています」...