あり得ないことが立て続けに起こって横浜へのトレードが決まった
巨人に移籍して3年目の1997年オフ。私は契約更改の席上、山室代表補佐に、とにかく一軍のマウンドに立ちたい、巨人でチャンスがないのならトレードで移籍しても構いませんと訴えた。
しかし、トレードには必ず損得が発生する。特に巨人には、トレードによる失敗が許されないというか、失敗したくないという強い意思があるように感じた。
■相手と釣り合いやすい状況をつくる
仮にトレードが浮上しても、年俸が釣り合わなければ破綻することになりかねない。相手と釣り合いやすい状況をつくることが得策だ。今年は打者1人に投げただけだから、本来の査定を受け入れて契約してもらうべき。金額にして1000万円ほど下がるとしても、年俸が安い方がトレードが成立しやすいと考えた。巨人に残るとしても自分に対する査定は受け入れなければならないわけで、「自分に対する査定を受け入れますので、とにかく、その査定で契約してください」とお願いした。
巨人でチャンスがないならトレードに出してもらいたいと、自分の意思を伝えたうえで、査定の金額で契約しますと伝えた。契約するというのは翌年もジャイアンツのユニホームを着る意思があるということだ。他球団でプレーする覚悟があるのに、契約後に移籍を持ち出すのは筋が違うと思った。
私の話を最後まで黙って聞いてくれた山室さんは、近鉄時代の自分をよく知っていたようで、「キミのことは知っているよ。話は、よく分かった。キミの気持ちを尊重しよう」と言ってくれた。