右脇腹を痛みを耐え抜き…3試合の雨天中止と敗戦処理の立場が奏功した
横浜移籍1年目の開幕直後、右脇腹を痛めたときはつらかった。
最初にブルペンで肩をつくるときは、あまりの痛さで涙が出そうになったくらい。1カ月近くの間、痛みに耐えながら投げていた。
それでも離脱するわけにはいかなかった。巨人で結果を出して移籍したわけではないし、二軍でリハビリをさせて欲しいと言ったが最後、二度とチャンスは回ってこないかもしれないと思ったからだ。打者ひとりに四球を与えて終わった前年のような悔しい思いはしたくなかった。
さすがに試合中のブルペンで痛めたときは首脳陣に言わないわけにいかなかったけれども、それ以降は何も言わなかった。言わないどころか、あえて何事もなかったかのように振る舞った。
ただし、ツキはあった。広島市民球場で脇腹を痛めてから、横浜に戻って中日戦。その後、甲子園の3戦目から再び横浜に戻ってヤクルトとの2戦目までの計3試合、雨で中止になった。トータルで約1週間、ブルペンで投げずに済んだのは救いだった。
敗戦処理だったことも幸いした。右脇腹を痛めた広島との3連戦が終わってから5月末まで、チームは17勝14敗。そこそこ調子が良かったがゆえに、あまり出番が回ってこなかったのは運が良かった。登板は週に1回くらいのペースだったから、痛みに慣れてきたというか、痛みと共存できたように思う。仮に連投を強いられるようなことがあったら、右脇腹痛に耐えられなかったかもしれない。