2000年前半は二軍生活…自分の与えたヒントで改善する若手の成長が楽しみだった
プロ初安打は1999年8月10日、横浜スタジアムの広島戦だった。
紀藤真琴から放った中前打は、適時打のオマケ付き。猛暑のさなかに、打って走って青息吐息。バテバテで、先発しながら4回3失点で降板した。
この年は先発として8試合に登板。自分で希望したわけではもちろんない。あくまでもチーム事情とはいえ、先発に再挑戦する機会を与えられたのは収穫だった。成績自体は計40試合で2勝8敗1セーブ、防御率6.32とかんばしくなかったけれども、プロの世界でヒットを打つことができたのは先発してある程度のイニングを投げたからこそだ。
翌2000年のシーズン前半は、ほとんど二軍暮らしだった。二軍には若手がたくさんいる。7月で36歳。トシもトシだし、自分がコーチになろうとか、そこまで強い気持ちはなかったものの、コーチ目線でやっていた部分はある。
二軍のコーチの指導に支障がないように、若手にちょっとしたアドバイスをした。変化球を投げるコツや、投球フォームで気になった箇所……それらについてブルペンなどで話をする。先輩の言うことだけに、「じゃあ、ちょっと試してみます」と実践した若手の投球が改善されると、面白くなる。うまくいっていないところを見ておいて、こんなふうに工夫してみたらどうだろうと具体的な話をする。自分が与えたヒントによって、若手にどういった変化が生じるか、成長していくか……それらを楽しみに二軍生活を送るようになっていた。