著者のコラム一覧
阿波野秀幸元プロ野球選手

1964年7月28日、神奈川県生まれ。桜丘高、亜大を経て、86年のドラフト1位で巨人、大洋(現DeNA)を含めた3球団競合の末、近鉄に入団。87年、新人王、89年は19勝(8敗)、183奪三振で最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得。その後、巨人、横浜でプレー、通算75勝68敗5セーブ。引退後は巨人、横浜、住友金属鹿島、中日などでコーチを務めた。

自分が育った横浜で…ヤンキースのような紙吹雪舞う中の優勝パレードは生涯忘れない

公開日: 更新日:

 赤、青、黄、緑、白……無数の紙吹雪が、ビル風に舞って頬をかすめていく──。

 日本一になった横浜の優勝パレードは1998年11月3日、秋晴れの祝日に行われた。

 抜けるような青空のもと、パレード用に造られた車の上に乗った私たちは、パシフィコ横浜を出発した。なにしろ38年ぶりの日本一。40万人といわれるファンが沿道を埋め尽くし、大歓声に包まれた。

 パレード終盤、車がみなとみらいの方から横浜スタジアムに向かう市役所の横の通りに入ったときのことだ。

 両脇のビルの屋上や窓から無数の紙吹雪がまかれ、それがビル風に吹かれて舞い散る様子に、まるでニューヨーク市街で行われるヤンキースの優勝パレードみたいだと思った。あのシーンは生涯、忘れないと思う。

 私は横浜で育った。プロ入りしたのは大阪の近鉄。チーム内の知り合いといえば、大学の先輩の大石大二郎さんくらい。初めて暮らす場所で、グラウンド外では正直、戸惑うこともあった。それだけに自分が育った横浜でプレーすることができたのは良かった。高校時代の仲間とか、中学時代の友達が球場に見に来てくれたり、ときには彼らと会ったり。社会人になって初めて暮らした大阪と違って、街のことまでよく分かっている。落ち着いてできたというか、グラウンド外で神経を使うことはほとんどなかった。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  2. 2

    “氷河期世代”安住紳一郎アナはなぜ炎上を阻止できず? Nキャス「氷河期特集」識者の笑顔に非難の声も

  3. 3

    不謹慎だが…4番の金本知憲さんの本塁打を素直に喜べなかった。気持ちが切れてしまうのだ

  4. 4

    バント失敗で即二軍落ちしたとき岡田二軍監督に救われた。全て「本音」なところが尊敬できた

  5. 5

    大阪万博の「跡地利用」基本計画は“横文字てんこ盛り”で意味不明…それより赤字対策が先ちゃうか?

  1. 6

    大谷翔平が看破した佐々木朗希の課題…「思うように投げられないかもしれない」

  2. 7

    大谷「二刀流」あと1年での“強制終了”に現実味…圧巻パフォーマンスの代償、2年連続5度目の手術

  3. 8

    国民民主党は“用済み”寸前…石破首相が高校授業料無償化めぐる維新の要求に「満額回答」で大ピンチ

  4. 9

    野村監督に「不平不満を持っているようにしか見えない」と問い詰められて…

  5. 10

    「今岡、お前か?」 マル秘の “ノムラの考え” が流出すると犯人だと疑われたが…