9条は日本人の歴史的な「無意識」に根差す「文化」
「憲法の無意識」柄谷行人著 岩波書店 760円+税
参院選が終わり、自公政権が「圧勝」だったというマスメディアの報道は、果たして本当だったのだろうか。結果をつぶさに見れば、現政権の「終わりの始まり」を見てとることはできないか。少なくとも、「改憲」へのゴーサインが出たという総括には無理がある。
選挙期間中、現政権は極力「改憲」を争点化しないように努めた。しかし選挙後には、予想通り、「承認が得られた」として着々とその手続きを進めようとしている。繰り返されるそのような政治手法に、当の国民もいくらなんでもおかしいと思い始めている。今後いずれにせよ、都知事選や衆院選を迎える中で、安倍政権下の政治では、ますますこの国家の構成原理=憲法をめぐる問題が争点となるだろう。
しかし本書を読めば、安倍政権のもくろみがそれほど簡単ではないことが分かる。それは、日本国憲法9条の枠組みが、日本人の(徳川時代にもつながる)歴史的な「無意識」に根差すもので、それが常に超越的に現実社会を規制するからだ。
著者によれば、9条は憲法の条文である以上に、日本の「文化」(超自我)である。したがって、この原理に反すれば、いかなる政治権力もその足場を失うことになる。さらにこの「文化」は、世界史上の無数の平和思想から「贈与」されたという普遍的経緯を有しており、その意味で、憲法が「押し付けであったかどうか」という議論はきわめて皮相的なものとなる。
本書は、「9条があれば安心」というタイプの条文信仰の議論を排し、いわば「9条の血肉」を明らかにし、そのリアルな普遍性を再確定しようとする。「改憲派」であろうと「護憲派」であろうと、憲法議論は少なくとも本書が到達した地平から出発すべきだろう。すなわち、日本の「改憲」問題の中心にはしっかりと9条の問題が鎮座しているという政治的事実。そしてそれが「押し付けられた」がゆえに普遍性をもっているという政治的事実である。