下積み16年 Wコロン木曽さんちゅうが味わった赤貧生活
「整いました」が決めゼリフの“なぞかけ”で人気のWコロン。蝶ネクタイに赤いチェックのジャケット姿のねづっち(39)、赤い帽子にメガネの木曽さんちゅう(43)のコンビでブレークしたのは4年前。木曽はコンビ結成前、16年も下積み生活を送っていた――。
ボクが生まれたのは神戸市。甲南大学卒業ということもあって、最初は関西でお笑い芸人を目指していたんです。
芸名は格闘家の角田信朗さんがつけてくれました。93年、関西テレビで放送していた角田さん司会の金曜深夜の生放送「熱血ハイテンション」の素人コーナー「青春角田道場」に出演した際、「いかにも木曽山中での山ごもりから下りてきたような雰囲気だ」という理由で、その時はリングネームとしてつけていただき、それが今に至っています。
でも、向こうでは仕事がなくて、東京ならとその半年ぐらい後に上京して、今は俳優やエッセイストとして有名になったふかわりょう君と知人の紹介で知り合って、1カ月ほどコンビを組んでいたこともありました。解散の理由はふかわ君が「ピンになりたい」って言い出したからですが、しばらくすると彼が売れちゃったのにはビックリしましたね。