下積み16年 Wコロン木曽さんちゅうが味わった赤貧生活
当時は芸人の卵ですから、ギャラはゼロに等しかった。初めてコンビでライブに出た時は2人で500円。2人で、ですよ。2で割ると250円なので、交通費にもなりませんでした。
仕方がないので、少しでも無駄な出費を抑えるため、自宅から仕事先まで自転車で通ってたこともありました。ところが行きが晴れてても、帰りに雨だとビショ濡れ。それでも自転車をこぐしかない。真冬は寒くてホント、惨めでしたね。
■手取り15万円で入籍、長男誕生
それから98年にもう芸人をやめた相方と「バズーカルーム」というコンビを結成しましたが、こちらもパッとしなくて03年に解散。芸人を目指してちょうど10年目でしたから、もう足を洗おうと思っていたところに、顔見知りだったねづっちから「一緒にコンビを組んでもらえないか」といきなり電話があって。その時は「浅草で漫才協会に入ってメシが食える」って喜びました。
それで04年2月にWエース師匠の門下としてWコロンを結成したんですが、売れないし、すぐにメシが食えるなんていうウマイ話なんかありませんよね。