五木寛之氏「親鸞の最後は無造作に書く。それは決めていた」
――時代が下山の思想を求めている?
下山を寂しいとか悲惨だと考えないことですね。登山にはものすごくエネルギーが要りますが、下りるときはゆとりを持って、下界の風景を眺めながら足元を確かめて、一歩一歩下りていく。これもまた楽しからずやと。
――親鸞の晩年、死に方はある意味、理想ですか?
そうですね。高額な治療を繰り返して、闘病を続けて死ぬ。あるいは死そのものに対して、のたうち回る。そういうのではなく、自然に、大げさなこともなく、静かに退場する。こんなふうに考えると、孤独死はむしろ、望ましいことかもしれないと思ったりします。単独死と言い方を変えた方がいいのではないか。昔は楢山とか間引きとかあって、今は言いにくい時代になっているけれど、どこかでそういうことを考えないと持たない世の中になっているような気もします。
■作家とは恐山のイタコと同じだと思います
――「親鸞・完結篇」にはひとつの答えというかヒントがあるような気がします。