五木寛之氏「親鸞の最後は無造作に書く。それは決めていた」
僕は昔から、作者が小説を書くんじゃないと言っているんです。数多くの人が心の中で夢見ながら作っている物語があって、そういうものを形にして表し、投げ返すのが作家であると。作家は代理人なんですよ。僕は作家というのは恐山のイタコと同じだと思っている。特に大衆文学というのは、ひとりの作家の個性とか才能を発揮するものではなく、そこに宿る木霊というか、その背景には物語を紡ぐ100万人の作家がいる。そんなふうに考えてきたんですね。
――その辺も「他力」ということなのでしょうか。
他力ってのは呼び声なんですよ。こちらから働きかけるんじゃなくて、「おいこっちを向けよ」と呼ばれる。ですから、今後もそういう声が響いてきて、後ろから他力の風が後押ししてくれれば、80を過ぎても、またひと働きすることがあるかもしれません。
――それにしても、五木さんは大変お元気ですが、どんな生活で執筆活動をされているんですか?
夜更かしですから、大体、12時ごろから仕事を始めて朝5時に終わって6時ごろ寝るというのがパターンです。夕方から各社との打ち合わせやインタビューですね。完全な夜行型で、健康法には興味はありますが、常識的な健康法とはまったく正反対。食べたい時に食べるし、食べないときは1日でも2日でもまったく食事をしないこともありますし、夜中にラーメンを食べることもある。野生動物のような暮らしです。よくここまでもったと思います。