ハリウッドでもまれ逞しく…工藤夕貴“諦めない女優”の原点
■ルーシー・リューと争ったことも
翌年、相米慎二監督の「台風クラブ」に主演し、女優に開眼。歌手からシフトする決意を固めたが「日本にいては、アイドルの枠を超えられない」と苦悩の日々を送った。そんな時、映画関係者の「外国に行ったら」の一言で、ハリウッド女優を目指すようになり、独学で英語を勉強して、ハリウッドに挑戦。アメリカ・インディペンデント映画の雄、ジム・ジャームッシュ監督と直接電話で交渉し、「ミステリー・トレイン」に出演する機会を自ら掴んだ。
「その後オーディションで手にした『ヒマラヤ杉に降る雪』など主演作3本をメジャーのユニバーサルと70万ドルのギャラで契約して日本人初の快挙と注目されました。でも、製作されたのは1本だけで、契約は反故。6年後に渡辺謙が出演したハリウッド映画『SAYURI』で、主演のさゆり役を希望して自腹で三味線を習い、1曲完璧に歌って弾けるまで上達しましたが、脇役になってしまった。さらに『チャーリーズ・エンジェル』のオーディションで最後まで残るも、ルーシー・リューと争って敗れた。それでも『自分がやりたいと思ったことに全力で取り組む』という鉄の意志を持った女優です」(映画関係者)