市川崑作に続く? 河瀬直美監督に求められる東京五輪映画
五輪と五輪映画は分けられない。1964年にも五輪反対論は上がった。ただ市川監督の踏ん張りによって、五輪映画が開催の是非とは違った土俵で多くの人々に受け入れられたのも事実だった。それが、映画の凄いところなのだと思う。先人たちは堂々と戦ったのだ。
河瀬監督も引き受けた以上、「五輪とは何か」に向かって戦ってほしい。戦うとは内輪の政治性を排し、観客と正々堂々と対峙(たいじ)することである。