「太陽の塔」の次はどんなマヌケな遺産シンボルが残るのか
人が何と言おうと、大阪・千里のあの忌まわしき1970年万博の跡地に居残ってしまった「太陽の塔」は田んぼのかかしより役立たずのまま、マヌケ面して突っ立ってるのが悲しくなる。そして、たまに近くで眺めても、世界中に「こんなニッポンになってもうて、ほんまにすんまへんな」と両手を上げて降参したように、世界中に謝っているようにも見え、一層、マヌケに見えるのだ。
ひょっとしたら、このマヌケな太陽の作者・岡本太郎こそ、とっくの昔にブザマな今日の社会を予想していたのかもしれない。こんなに人間の生き方や暮らしに格差あり過ぎの差別社会のあらゆる矛盾にまみれながら、トチ狂った家族殺人や無差別殺人ばかり起きている、どうしようもなく「不幸」で「不憫」な未来しか見えない社会を当時からもう見限っていて、そんな未来を警告していたのかもと思えてくる。
当時の万博のテーマは「進歩と調和」だった。我ら過敏でラジカル思考の「造反有理」(反対するのは理由がある)と叫んでいた過激な高校生には片腹痛かった。何が進歩だ、アメリカ館の、月から持ち帰った「月の石ころ」を何百万人が行列をつくって見る最中も、石も知らない米軍の若い海兵隊員が1日に何百人もベトナムの密林で殺されてるんだぞ! 沖縄の嘉手納基地にその戦死者が死体バッグに詰められて帰って来るんだ。進歩どころか退化だろうが! 何が“平和の祭典”だ。三波春夫が能天気な声で「世界の国からこんにちは」と歌おうと、どのツラさげて誰にこんにちはと挨拶しろっていうんだ、と、万博に造反する「反パク」運動も大阪で起きていたのだった。