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劇団の分裂騒動で人生の岐路に
文学座の研究生になって2年後の63年、文学座の演出家だった福田先生と俳優の芥川比呂志さんが「劇団雲」をつくったんで僕も「雲」へ。ところが、福田先生が「雲」をやりながら、「にんじんくらぶ」というプロダクションからスターを引っ張ってきて「劇団欅」をつくり、その後「雲」が分裂して「演劇集団円」と「劇団昴」になった。それが76年です。「海は青く深く」は「昴」の旗揚げ公演ではないけど、「円」に行かなかった「雲」と「欅」のメンバーが一緒になって、みんなでつくった「昴」の最初の芝居でもあるんです。「雲」の分裂の時、僕は「円」に行くか「昴」にするかで人生の岐路に立たされました。劇団の分裂は芥川さんや福田先生ら“雲の上の人”がやっているだけで、僕はノンポリだし、よくわからなくて悩みました。
結局、「昴」を選んだのは「昴」には「三百人劇場」というすてきな小屋があるから、芝居ができるだろうということ、敬愛する俳優・小池朝雄さんが「昴」を選んだからという理由です。小池さんは「刑事コロンボ」のコロンボの吹き替えで知られていますけど、本当にすてきな、観客に想像力を与えるような芝居をする人だったんです。
この写真を見ると劇団が分裂した当時を思い出します。“雲の上の人”だった福田先生に「北村君の芝居は盆と正月が一緒に来たみたいだね」と言われたこと、「円」に行った高橋昌也さんと後年、TBSの緑山スタジオで偶然、再会し、思わず抱きついたら「よかったね、売れて」と言ってくれたこと……。
「円」と「昴」で分かれた俳優にわだかまりはないんです。時が流れて一緒にやってきたたくさんの人たちが亡くなりましたが、「人はみんな死ぬんだな」と、当たり前のことだけど、しみじみと思ってしまいますね。
(聞き手=中野裕子)