<4>父の死、母の死によってオレは写真の修業をさせられた
三ノ輪の実家の「にんべんや履物店」は小さな店だったから、親父が一人で何でもやってたけど、おふくろも手伝ってた。親父が死んでから、おふくろが下駄の鼻緒をすげてたね。「いつ練習したんだ」って聞いたら、「見よう見真似で覚えた」って言って、女手ひとつですげてたよ、力を入れて。おふくろは、あんまり口数が多くないけど、上州の女で、やっぱり気丈だったね。ちびでね。オレは7人きょうだいの5番目だけど、小さい頃は、そんなおふくろが7人も子どもを産んだのが不思議だったね。
親父は、おふくろに頭あがらなかったんじゃないかな。親父は写真やってて、旅とかなんとか言って何日も戻らなかったりしてたらしいからね。自転車の後ろに下駄を入れる箱をつけてるんだけど、その箱の中にカメラを仕込んで出て行って、一日帰って来ないっていうこともあったらしいんだ。その間、街で写真を撮ってたらしくてね。
店には、職人の親父が作ったデカイ下駄の看板があっただろ。おふくろはいつも、オレが遠くに遊びに行ったら、「下駄の看板を目印に帰ってくるんだよ」と言ってたね。