熊さんから「サブちゃん、また一緒にやらないか」と誘いを
1981年当時、コント・レオナルドは、レオナルド熊と彼の弟子のひとり、ブッチー武者のコンビだった。
「テレビで見て、『へー、熊さん、またやってんだ』と思ったね。それから間もなく、熊さんから連絡があった。『武者がノイローゼになって逃げやがった。サブちゃん、また一緒にやらないか』って。逃げるのは当然だよ。弟子にギャラをやる必要はないって、一銭も払わないんだから」
ブッチー武者は後年、「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)のざんげコーナーにキリスト役でレギュラー出演した。
熊さんの誘いに三郎はどう答えたか。
「もちろん断りましたよ。病弱なだけじゃなくて、金に汚いから、また嫌な思いをしたくないもの。すると、『花王名人劇場』のプロデューサー、沢田隆治さんが連絡してきた。10月に武道館でやる漫才大全集に熊と出てくれって。心が動いたけど、トマト栽培の会社に誘ってくれた先輩に対して義理を感じてるから、やりますと言えない。まさに進退きわまったね。返事を延ばしていたから、武道館の公演には出られなかった。すると、先輩が、『おまえ、芸人に戻れ』と言い出した。『俺も疲れちゃって、トマト栽培やめようと思ってる』ってね。正直、ホッとしました。それで熊さんとコンビ再結成したわけです。すぐネタ作りに入った」