大人気になったコント・レオナルド 年収40万→4000万円に
「暮れに正月番組の収録でテレビ局を掛け持ちして、これでいい正月が迎えられるなと喜んでると、新年早々に倒れる。『笑点』の出演が決まってたのがパーですよ。地方の営業もキャンセル。またかよ、とガックリする。そんなことが何度もあってね」
熊との間に亀裂が生じたのは、あるオフの日の出来事だった。
「家にいたら、コントの大先輩、ラッキーセブンのポール牧さんから電話があった。『今、九州でお笑い大会に出てるんだけど、熊が女の弟子を相方にしてコントやってるぞ』と言う。金に汚い熊ならやりかねない。弟子で、たぶん愛人の女ならギャラをやらなくてすむからね。この一件にはマネジャーが絡んでて、2人でギャラを分けてたんだ。許せんでしょ。熊を責めると、土下座して謝る。『サブちゃん、すまない。もう二度としない』と涙ながらに誓うんだけど、またやるんだ」
1986年正月、家でテレビを見ていた三郎はわが目を疑った。演芸番組で、熊が弟子のはらみつお(後の東京バッテリー工場)を相方にしてコントをやっていたのだ。
「熊の野郎、タダじゃおかねえとブチ切れました」