“遺骨による”辺野古埋め立ては本土決戦を引き延ばす捨て石にされた沖縄県民の気持ちを逆なでする行為だ
沖縄・那覇市の県庁前広場で今月1日からハンストが始まっている。中心になっているのは沖縄戦の遺骨収集ボランティアを20代から40年近く続けている具志堅隆松さんだ。
辺野古への土砂投入は2年前から行われている。毎日2回、何十台ものトラックによって運び込まれる土砂を阻止するべく、座り込みをしては排除される反対住民のニュースはご覧になったことがあるだろう。
埋め立て土砂の総量は、2017万6000立方メートルで、東京ドームの約16・3個分に相当する。これまではその7割を県外の土砂で調達していた。県議会はそれを阻止すべく外来種の侵入で自然が破壊されることを理由に、県外土砂規制条例を可決した。すると国は、それを回避するために県内での土砂調達の範囲を広げようと計画している。その候補地にこれまでの北部地域に加え、地上戦の激戦区であった南部の糸満市などを候補に加えたのだ。
南部では軍民一体となって犠牲者が多く、75年経った現在でもいまだ見つからぬ遺骨が多く眠っている。具志堅さんは先日も、ガマと呼ばれる洞窟内で米軍からの手榴弾でやられた民間人の骨や遺留品を見つけている。