バブル時代のディスコは芸能人と女性の出会いの場だった
現在は“クラブ”と呼ばれているが、昭和の時代は“ディスコ”の名で若者を中心に親しまれていた。
1980年代に入るとさまざまなアイテムを取り入れたディスコが登場。一大ブームをつくり上げた。お立ち台もアイテムのひとつ。発案したのは「マハラジャ」と言われている。まだ地下鉄が通っていなかった麻布十番にオープン。当時の十番は六本木に近いようで遠い「陸の孤島」と呼ばれ人の集まりは悪かったが、マハラジャができたことで一変し、深夜まで若者たちが集まり、活気づけた。
マハラジャを手掛けたのは六本木や赤坂などでジュータンパブなどを仕掛けて名を馳せた菅野諒氏。一度、インタビューしたことがあるが、物腰の柔らかい紳士だった。
大学卒業後、金融関係の仕事を経て夜の世界に飛び込み、アイデアと巧みな経営術で成功を収めた。ワンランク上のディスコを目指しドレスコードを導入。ジーパンやTシャツ、運動靴は禁止。紳士淑女の夜の社交場の雰囲気を醸し出した。お立ち台もあったが、話題を振りまいたのが一般フロアの2階に設けたガラス張りの豪華なVIPルームだった。