沖縄のおばぁが絶対統治者を訴えた破天荒なサンマ裁判とは? 映画「サンマデモクラシー」監督に聞く
1972年5月15日の日本復帰から50年を迎える沖縄。総力特集に備える在沖メディアにさきがけて今夏、全国上映されるドキュメンタリー映画「サンマデモクラシー」が話題だ。作品は60年代に実際にあったサンマを巡る訴訟を発掘し、米軍統治下の沖縄を象徴する事件に迫っている。
当時はアメリカが絶対的支配者。琉球列島米国民政府の高等弁務官布令によって、本土からの輸入品には関税がかけられていた。しかし、ある時、魚卸売業の女将・玉城ウシが重要な事実を知る。布令にはサンマが明記されていないのだ。
そこでウシはこれまでサンマに払った税金を返せと琉球政府に訴訟を起こす。その額、現在の価値にして7000万円。ウシについた弁護士は大言壮語で口が達者なため、「ラッパ」と呼ばれた下里恵良だ。保守系の政治家でありながら、革新系のヒーロー“米軍が最も恐れた男”の瀬長亀次郎とは親友だった。
被告側は本土復帰運動を弾圧し、「暴君」と恐れられたポール・W・キャラウェイ高等弁務官と役者は揃っている。さあ沖縄の「おばぁ」と絶対的統治者の闘いの顛末やいかに――というストーリー。監督・プロデューサーで沖縄テレビ職員の山里孫存氏に映画への思いを聞いた。