沢村忠得意のキックを「真空飛び膝蹴り」と命名 誕生の背景には“視聴率戦争”
この状況に“民放の雄”TBSが手をこまねいているはずもない。「人気局のプライドにかけても、ここは負けるわけにはいかない。満を持して始めたキックボクシングを埋もれさすわけにいかない」と、キック中継のプロデューサーだった同局運動部の森忠大は、制作、営業、編成のスタッフにハッパをかけた。
まず、沢村の得意の飛び蹴りに子供にも馴染みやすいようにわかりやすい名称を付けさせた。代名詞となった「真空飛び膝蹴り」の名付け親は実況を担当したアナウンサーの石川顕である。誕生の背景には“視聴率戦争”があったのだ。
さらに森は、局の番組宣伝課に各媒体へのプッシュを命じた。ライバルはアニメである。当然、その対象は少年誌が中心となった。主なものは以下の通り。
「迫力特集 壮絶!キックボクシング5大必殺わざ特別公開」(「少年ブック」1968年11月号)、「キックボクシングの沢村忠」(「週刊少年マガジン」1968年11月17日号)、「空とぶ人間爆弾・沢村選手物語」「沢村忠四大必殺わざ~まわしカウンターげり・真空とびひざげり・垂直二段げり・空中骨おり」(「冒険王別冊・まんが王」1968年12月号)、「沢村 キックボクシングのヒーロー沢村忠特集」(「高一時代」1969年1月号)、「これがキックボクシングだ!~世界最強のスポーツ☆世界最強の沢村選手」(「小学四年生」1969年2月号)。
次第にテレビの視聴率も上向いてきたある日、ひょんな話が沢村忠のもとに舞い込んだ。
「おい沢村、喜べ。映画出演だぞ。主演は高倉健、健さんだぞ」(つづく)