関東を代表するさまぁ~ず三村マサカズのツッコミに今も生き続ける伝説芸人の息吹
フォークダンスDE成子坂は1989年にデビュー。94年には若手芸人による伝説の勝ち抜き番組「GAHAHAキング爆笑王決定戦」(テレビ朝日)で2代目チャンピオンに輝いた。
ナインティナイン、よゐこ、オアシズらを輩出した「新しい波」(フジテレビ)にも出演。実は「めちゃ×2イケてるッ!」の前身番組のMCには村田渚の名が挙がっていたが、コンビでのオファーではなかったため、断ったという逸話もある。なぜ断ったのかを後輩のコトブキツカサが聞くと、村田は「そのレギュラー蹴っても売れると思った」(ニッポン放送「ダイノジ大谷のオールナイトニッポン」14年1月9日)と答えたという。
現在、バイきんぐ、ハリウッドザコシショウ、アキラ100%、錦鯉、コウメ太夫ら数多くの超個性派芸人を抱え、最も勢いのある事務所のひとつである「SMA」。村田は成子坂の解散後、新たなコンビ「鼻エンジン」を結成し、お笑い部門草創期のSMAに移籍した。彼の人望もあり、多くの芸人がSMAに集まった。村田がSMAの礎を築いたのだ。
彼がいかに大きな存在だったかは、村田の死後につくられたSMAの常設劇場が「渚」=Beach、「村」=V(VILLAGE)から「Beach V(びーちぶ)」とその名を取って名付けられたことでも分かるだろう。
三村は冒頭の発言に続け、自分のツッコミのパワーについて、こう語った。
「渚のパワーもダブルで背負ってるので」