このあたりは雅子妃バッシングにも共通している。災害があるとすぐにでも訪問する天皇皇后に比べて、東宮御所から一歩も出ない雅子妃に批判の矛先が集中したのだ。当時は「適応障害」のような心の病は理解されなかったし、宮内庁も国民に理解してもらう努力をしなかったから、皇太子妃が部屋からも出られないことに納得できず、バッシングが長期にわたったものだ。
ただ、美智子さまも雅子さまも外から嫁いできた人。しかし、眞子さんは内側の人である。それなのに、なぜ眞子さんがバッシングを受けるようになったのだろうか。(つづく)