日テレ宮本修二と名刺交換しながら野球少年だった昔日の記憶が脳裏に蘇った
1982年の「全国高等学校野球選手権大会」(夏の甲子園)で「やまびこ打線」の雷名をとどろかせ、日本中を熱狂の渦に巻き込んだのが、蔦文也監督(写真)率いる徳島県の池田高校である。
エースで4番の畠山準(のち南海→横浜)は140キロを超える剛速球を武器に三振の山を築き、3番…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り1,184文字/全文1,324文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】