「首から下が動かない…死を覚悟しました」滝川英治さん頸椎損傷との闘い
滝川英治さん(俳優・絵本作家/46歳)=頚髄損傷
「この治療を受けても、立って歩ける確率は天文学的に低い」
これは、いろいろな治療を受ける中で、ある医師に言われた言葉です。横にいた姉は愕然としていましたが、自分は逆に可能性があることに希望を感じました。「ゼロじゃないならやってみる。過去に例がないなら自分が初になってやろう」と思っているのです。
ケガをしたのは2017年の夏、自転車で原付バイクを追い越すシーンの撮影中でした。下り坂でかなりのスピードが出ていた中での転倒です。何が起こったのか覚えていません。気づいたらあおむけで青空が見えました。「英治さーん!」という共演者の声で我に返り、起き上がろうと思ったら首から下が動かなくなっていました。次第に呼吸が苦しくなって、本当に死を覚悟しました。
山梨の現場からドクターヘリで病院に搬送されている間ずっと、ヘリのパイロットに家に残してきた犬のことと、両親に「ありがとう」と伝えてほしいとお願いしていました。
緊急手術が終わり、目が覚めると家族やスタッフ、事務所関係者がみんないて、その狼狽した様子で何となく自分の状態を察した感じでした。
ただ、母親の涙を見た瞬間、安心させたくて「大丈夫だよ」と何回も言ったのを覚えています。その後、また呼吸が苦しくなったので、自分から医師に頼んで人工呼吸器をつけてもらいました。今でも喉に気管切開した痕が残っています。
「頚髄損傷」と診断されました。首の骨を損傷して中の髄液が流れ出し、胸から下が麻痺状態になりました。集中治療室で約2週間を過ごし、1カ月してから東京のリハビリ病院へ移りました。当時は頭を持ち上げると血圧が極端に下がってしまう起立性低血圧状態だったので、寝たきりでの移動でした。
車いすに乗れたのは事故から2~3カ月後です。リハビリ病院では、少しだけ動く左腕の運動や、動かない指でボールをつかむイメージをしたり、機械で足を動かし、歩く感覚を思い出させるトレーニングをしていました。
実家に帰れたのは事故から1年後の2018年秋ごろです。相変わらず動けませんでしたが、一時は死も覚悟したので、まずは「生きててよかった」と思いました。生きていれば何でもできるし、何かにチャレンジすることもできる。医師から歩ける可能性はほぼ皆無と聞かされても、プラス思考の方が大きくて、いろいろな治療法を探し続け、今も新たな治療を受けています。あきらめたら“陰”に入ってしまいかねない状況なので、ネガティブ思考にならないようにしているのかもしれません。
じつは、父親が僕のケガの1年後、ちょうど退院するかしないかの時期に心筋梗塞で亡くなったのです。きっと、僕のことでストレスが重なったはずで、罪悪感はぬぐえません。でも、だからこそ母親にはこれ以上の心配をかけたくないし、笑顔でいてほしい。その思いもあって、なるべく明るく前向きでいるようにしています。