島田一の介さんの策士な一面 師匠に「相方が見つからないので新喜劇に紹介を」と
子供の頃から新喜劇が大好きで高校を卒業して就職したものの、新喜劇に入りたい気持ちが抑えきれず、2年あまりで退職。とはいえ新喜劇への入り方がわからないので、誰かの弟子になってまず吉本へ入ることを模索。
当時夫婦漫才の第一人者だった島田洋之介師匠の下へ「弟子にしてください」と毎日頭を下げ続け、入門を許されて足掛かりをつくられます。そして同門の島田洋七さんとコンビを組んだものの、元々漫才師になるつもりはないので、ほどなく解散。
師匠に「相方が見つからないので新喜劇に紹介していただけませんでしょうか?」と満を持してお願いしたところ「しゃあないな、わかった」と“念願だった”新喜劇に入団することになります。
「よくしていただいた師匠にはほんまに申し訳なかったけど、どうしても新喜劇に入りたかったんよ。漫才で“間”の勉強をさせてもらったのが役にたったな」と感謝されていました。
そんな“策士”一の介さんが今も大切にしてらっしゃる師匠からの言葉が「辛抱せえ、ケツ割るな(諦めるな)よ」。「まじめに舞台を務めることが師匠への恩返しやな」と20年以上前にしみじみと話しておられました。